2014年01月05日

まさかの日経1面に初音ミク

1月5日の日経の1面に、音楽業界のヒャダイン氏ならびにジブリの鈴木プロデューサーが出ています。

ヒャダイン氏の言葉を要約すると「音楽は使い捨てされる時代になった。量産できる音楽家だけが生き残る」
これと対照的に、「かぐや姫」の製作を引き合いに出し、鈴木氏は「徹底的に新しい表現を追及した」

音楽の量産というのは、ボーカロイドのことです。コンピューターで作曲し、ボカロで声を入れれば1日で数曲作ることができます。いわば「量産と駄作の時代」に入ったといえます。
なぜ量産する必要があるのかというと、ネットのシステム的に、たくさん作ることがそのもので宣伝効果になるからです。次々とyoutubeに音楽が出てくるので、ユーザーの目に付かせるためには、大作をドンと1作作っても、目に留まらないからです。
ネットの、たとえばニコニコ動画のようなシステムは、新しい動画からトップに載るようにできています。これはどの投稿システムでもほぼ共通で、どんな作品でも関係なく、一度トップに載ったら大体決まった時間を経過してトップから消えます。

大作でも駄作でも、トップに載る時間は同じ。

ならば、とにかくトップに出ている時間を長くしたいと思ったら、たくさん作るほうがいいのです。だから「駄作を量産する」のが、「現在のネット市場に出す(ここ重要)」場合においては、有効なのです。
これに対し、鈴木氏のやり方は真っ向対立しているといえます。さすがのジブリは、徹底的にクオリティを追求する姿勢を変えない。

さて、駄作の量産という概念を持ち出して、すぐに思い出した言葉があります。


「アタリショック」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF

wikiから重要と思われるところだけ引用します。

「1986年当時の任天堂社長の山内博の認識によると、「サードパーティによる低品質ゲームソフト(俗に言う「クソゲー」)の乱発がアタリの市場崩壊を招いた」と言う[2]。これは後世まで業界の共通認識となっており、2010年現在の任天堂社長である岩田聡は、「粗悪なソフトが粗製乱造されたことで、お客さんからの信頼を失ってしまった。」と定義している[3]。ここから転じて、ハードやジャンルに関わらずゲームソフトの供給過剰や粗製濫造により、ユーザーがゲームに対する興味を急速に失い、市場需要および市場規模が急激に縮退する現象を「アタリショックの再来」または単に「アタリショック」と呼ぶこともある」

「1982年頃より、家庭用ゲーム市場の急激な拡大に釣られて、ゲームを作ったこともない他業種のメーカーがVCSのサードパーティとして参入した。それらのメーカーの雇った開発者は、アタリやアクティビジョンなどの開発者とは違ってまともにゲームを作る能力がなく、結果、非常に質の低いソフトまでもが市場に溢れ返った。極端な例として、VCSに参入したクエーカーオーツ(朝食シリアルのメーカー)やピュリナ(ペットフードのメーカー)などが知られる。それらのメーカーは低品質ゲームソフトに大きな宣伝を打ち、家庭用ゲーム市場全体の信用を損なわせた」

「この当時、アタリ社は発売されているゲームの内容は一切把握していなかった。またユーザーサイドに立ったゲームレビュー雑誌も発達しておらず[4]、基本的にユーザーは玩具店の店頭で、ゲームソフトのパッケージから、中身の質を推察するしかなかった。こうして、ユーザーは「買って自宅のVCSに挿し込むまで、本当に面白いかどうか判らない」ような状況にまでなり、ユーザーの購買意欲減退を招いた」

「1983年当時、市場にはAtari 2600(VCS)の他にも、Atari 5200、バリー・アストロケード、コレコ・コレコビジョン、コレコジェミニ、エマーソン・アルカディア、フェアチャイルド・チャンネルF、マグナボックス・オデッセイ2、マテル・インテレビジョン、Sears Tele-Games systems、Tandyvision、Vectrexなどのゲーム機が存在しており、さらにOdyssey3やAtari 7800と言った次世代機も発表されていた。各ゲーム機はそれぞれが豊富なゲームソフトのライブラリとサードパーティを抱えていたが、供給過剰の状態であり、ソフトのラインナップを埋め合わせるために粗製の低品質ゲームソフトが乱発された。Atari VCSに限って言うと、発売から6年目に入ったVCSは北米で普及しきっており、ハード的にはこれ以上シェアを伸ばすのは難しかった。既に市場は飽和していた」

「1983年に入っても市場は依然活発で、発売タイトルも販売本数もかなり多かったが、1983年6月までには正規価格のソフト市場は大幅に縮小しており、ユーザーは在庫処分価格のソフトを主に買い求めるようになっていた。ゲームが低価格化したことは当初はユーザーに歓迎されたようだが、やがて買ったソフトがどれも低品質という現実に直面する。そして、低品質なこれらのソフトにうんざりしたユーザーの多くは、高価だがクオリティの高いソフトを見直すことはなく、ゲームそのものを止めてしまった」


諸説ありますが、これがおよその業界の共通認識です。

任天堂はなぜその後成功したのか?
ソーシャルゲームと音楽業界は、アタリショックと同じことをやるのか?

不思議なことのひとつは、アタリのゲームにもハイクオリティなゲームが1つや2つはあったと思うんですが、それも無視されて崩壊してしまったって所ですね。
「アタリのゲームはもれなくクソゲー」という認識を全ユーザーが持っていたとしたら、いいゲームを作っても見てもらえない、という事態は十分に納得がいきます。遊ぶ前にクソゲーと決め付けられて、手にとってもらえない。遊ぶ前から拒否される。

もう少し時間がたって、「ソーシャルゲームはもれなくクソゲー」「ボカロ音楽はもれなくクソ音楽」という認識を、全ユーザーが持ってしまったら?やはり終わりでしょう。いい物を作っても、売れません。先入観で拒否されます。


本当にいい物を作る自信があったら、粗製乱造されている市場には近づかないことです。どこか別のところで売ったほうがいいと思います。
何よりも、そこに多額の投資をしないこと。バブル崩壊直後の不動産屋みたいに、借金漬けになる。
やるとしたら、リスクなしで。趣味の範囲でやる。本業にしない。


最近は、ソーシャルゲームよりもコンシューマーの、プレステ4やマイクロソフトのハードが見直されているという話も聞きます。
市場の法則みたいなのがあって、「購入ユーザーは、値上げに対して非常に強い抵抗を示す」というのがあります。
ソーシャルゲームが無料で遊べたが飽きた、だからクオリティを求めて1本数千円のコンシューマーのゲームに移るかといったら、かなり難しいと思われます。

「今までゲームは無料でできたが、これからはお金を出さないといけない」

この流れを作るのは非常に難しい。アタリショック後に任天堂が成功したのは、日本にはアタリショックの影響がなかったからという面もあります。
任天堂は、外国の卸売り場を説得するのにかなり苦労したとか。一度クオリティ不信に陥った店を説得するため、「これはゲームではない」などといったそうです(ファミコンは外国では「NES(Nintendo Entertainment System)」という名前です。ゲームではなく、システムだった)
ソーシャルゲームが普及していない国に向けて輸出するとか?
あるいは、ソーシャルゲームの購入層は無視して、既存のコンシューマー客だけを狙う。このほうがいいかもしれません。

もし既存の音楽業界が、今までと同じ収益モデルで業界を維持しようと思ったら、ボーカロイドを徹底排除したほうがいいでしょう。アマからプロへ持ってこさせないことです。かつての任天堂がそうしたように。ただ、そのやり方ももう崩れてしまっている。



「すべての業界は独立している」説


説というか、これは一般に言われていることなのですが、業界は市場的に独立しており、互いにさほど干渉しないというもの。
たとえばソーシャルゲームがコンシューマーゲームを食ってしまうという説がありますが、実はこれは幻想で、互いに顧客が別個のために、シェアを食う、ということはないといわれています。
ソーシャルゲーム業界が完全に崩壊しても、ソーシャルゲームの客とコンシューマーゲームの客は異なるため、特にコンシューマーゲームへの業界的な影響はない、というもの。
もしそうだとしたら、現在のコンシューマーゲームの不振は「ソーシャルゲームに客を取られたから」ではなく、単に内部的な問題ということになります。単に開発費がかかりすぎて赤字になっているとか。このタイミングでソーシャルゲームが流行っているので、あたかもソーシャルに客を取られて経営不振に見えるだけ、かもしれない。

同様に、新聞にはまるで「すべての音楽家は量産しなければならない」かのように書かれていますが、実はボカロと商業音楽の視聴者はまったく異なっているか、あるいは同じ客でも互いに購入に干渉しない状態なのであれば、商業音楽がボカロに取って代わる、というような心配はしなくていいはずです。

「まるで客を取られたかのように思い込んでいるだけ」だとすれば、ソーシャルゲームやボカロのような「無料メディア」にする必要はなかった、と。その思い込みで、商業音楽やコンシューマーゲームが無料ビジネスに切り替えてしまい、それで収益が減ってしまったとすれば、完全に自業自得です。

大御所が、アマチュアの「無料メディア」に踊らされているだけかもしれない。

本当のところどういう構造なのかはまだわからないんですが……
とりあえず、粗製乱造はやめましょう、といっておきます。長い目で見れば、まず続きません。仮にそれができたとしても、市場崩壊すると思います。「アタリショックの再来」は、起きるかもしれない。
ユーザーは、日に日に賢くなっています。舌も肥えています。その状況で粗製乱造というのは、恐ろしく危険です。加えてレビューなども、インターネットの普及や動画のコメント機能などのせいで、誰でも瞬時に入手できます。いや、入手どころか、何もしなくても勝手に目に入ってきます。わざわざ雑誌を買ってレビュー記事を読む必要はありません。


粗製乱造のリスク

粗製乱造のひとつの重大な問題点は、検索不能に陥ることです。
アタリのソフトは、たとえば100本のソフトのうち、99本がクソゲーで、残り1本がいいゲームだったとしましょう。適当にゲームを取り出して遊んでみた場合、良作ゲームに当たる確率は99分の1です。最悪、99回外れを引く可能性があり、そのユーザーは大変な金額を損します。こんなギャンブルをやる人はいないでしょう。
逆に、2本のソフトのうち1本はクソゲー、残り1本は良作ゲームだとしたら、外れを引くか率は2分の1。これくらいなら、まあ買ってみようかという気にもなります。ファミリーコンピューターは、この仕組みで粗製乱造を防ぎました。ファミコンのソフトは、任天堂がクオリティ的に認めたものでないと、販売を許可しませんでした。

こういう「検査機関」みたいなものですね。必要なのです。漫画雑誌はページ数が決まっているため、優秀な漫画家を選んで掲載させます。なので粗製を読む可能性は低いです。

もし漫画雑誌が1冊10万ページあり、そういった検査なしで何でもかんでも掲載していたらどうなるでしょうか。
百科事典のような分厚い本から、自分の好みの漫画を探さなければなりません。それだけで何日もつぶれます。しかもそのほとんどは、つまらない漫画なのです。うんざりします。
ちょうどそれが起こっているのが、コミックマーケットであり、ニコニコ動画、youtubeなのです。何を目当てに検索するか?ウェブサイトのシステムとか口コミとかでしか頼るものがなく、「本当の良作が検索しやすいようになっているかどうか」という点については、非常に疑問です。
私が計算したところでは、ニコニコ動画に何か新しい動画を載せたとき、トップページに載る時間はわずか4秒です。後はユーザーが特定のタグなどを入力して、しかも「投稿の新しい順」や「コメントの新しい順」に載せた場合にのみ、ヒットします。

適当に載せてもまるで誰も見ないので、広告宣伝を別の場所で打つ必要があります。ユーザーはその情報はどこで得るのでしょうか?わかりません。普通の人は、ニコニコ動画のランキングなどを見ます。今起こっている状況は、アタリショックのときと似ています。「100本のうち、自分の好みに合う作品1本を探し出すために、最悪残り99本の作品を見なければならない」ただし動画の場合、金を払うというリスクはありません。

動画を作っているのはほとんど素人なので、面白くないのは当然です。これを排除するために「ランキング順」に並べる機能がありますが、これをやると今度は、「事前に高評価な作品」しか出なくなります。「すでに大ヒットしている作品」しか検索できなくなります。新しく作品を作っても、誰も見ることができません。
新規の発掘がなくなり、やがて流行は停滞し、動かなくなる。この状況では、緩やかに市場は衰退していく……まさにニコニコ動画はそんな状況にあります。
youtubeにしろニコニコ動画にしろ、やがては「大ヒット」というような概念すらなくなり、各々が自分の作品を身内で紹介するための「作品置き場」になるのではないでしょうか。
もちろんニコニコ動画は二次創作が実質許可されているので、過去の歴史にもあったように、同人即売会もそうですが、法律の介入で一網打尽になる可能性が常にあります。

粗製乱造を防ぐシステムを考えた任天堂は成功しました。既存の商業システムのほうが、たぶん長続きするでしょう。同人の参入障壁の低さは、競争相手を爆発的に増やします。そして検索不能になるのです。

(ニコニコ動画で、かなりのクオリティの完全オリジナル作品を載せると、数十〜数百程度の再生数になります。現在の市場ではこれくらいが上限だと思われます。もっとヒットしているのはすべてパロディか事前に人気のある作者あるいは続編です。新しいヒットの元は、別の場所、たとえば商業アニメなどのパロディです。ここから独立してオリジナルのヒットが生まれることはほぼ起こりません)
posted by Valley at 19:30| 日記